インドで感じたこと

今回のインドでの指導者養成コースも、とても充実したものとなりました。

受講生の皆様は、この四日間でお伝えしたことをもとに、そのシンプルなプラクティスを続けていってくだされば、必ず何か手応えを感じられてくると思います。あせらず、でも本気でやってみてください。できればゲームのように、実験のように思って日々実践してください。

このブログも、過去の記事にさかのぼって読んでいただくとヒントもたくさんあるのではないかと思います。

 

さて、今回のインドで一番私が興味深かったもの、、、それは実は自分。。。

どんなところに行っても、何を見ても、自分が中心から世界を見ている感覚は、本当に静かでした。最初はなんでこんなに静かなのかわからず、なんだろう?と思っていたのですが、

冷めた目で見ているわけではなく、意識を覚まして眺めていると、ありのままを楽しみながら、でも自分の価値観から見ていない、、、いいとか悪いとか、かわいそうとか、羨ましいとか、そういうところから離れていて、そのままを認めながら、全てが夢の中のように感じられるのです、、、、。全てが愛おしいとさえ思う、自分の意見を抜きに、静かに眺めているような感覚です。

 

インドで車に乗ると、ものすごい交通量の中、牛も人も自転車もトゥクトゥクも車線関係なく突き進んでいます。ぶつかりそうになるので、みんなクラクションを鳴らし続けて走っているので最初ちょっとびっくりします。でも、ここではこれが日常なんだな、、、普通なんだな、、、と、自然に思えて、いつの間にかおちついている。。。

 

バラナシに行った時に歩いた、ガンジス河のほとりでは、亡くなった人が毎日火葬されている場所でも、汚い川の中で楽しそうに泳いでいる人たちを見ても、お金や食べ物を頂戴と、よってくる子供を見ても、自分の狭い価値観からの感情に揺さぶられるのではなく、アァ、ここの日常はこうなんだな、この人たちはここで毎日こうして生きているんだな、、、、。とただ眺めている自分。貧しいとか、かわいそうと自分の思い込みで思うのではなく、何か、その中にも命が生きているという事実、その豊かさ、確かさをただ静かに感動して眺めているような、、、と言ったらいいでしょうか。。。

こういう風に書いて、読んでいる方に伝わるかはわかりませんが、勝手な「私の価値観」というフィルターのない状態はとても穏やかです、、、。

 

そして、その状態からどう世界と関わっていくかは自分の選択。

その瞬間、自然にお金をあげたかったらあげたらいいし、話を聞き続けたかったら聞いていればいいし、疲れたら通り過ぎればいい。そこには優越感も罪悪感も存在しない。

もし感情が動いてきたら、それをじっと感じてみる。

 

見えるものも見えないものも、そんな風に思考を通さず感じてみると、そのものの美しさがより鮮明に感じられてきます。

 

インドに入る時、お祈りをしました。インドだけではありませんが、その土地の神様や、見えない存在などに、いつもご挨拶します。そして、少しの間お邪魔しますということを伝えます。

いつからか、なんとなくそれは私の中での旅の儀式のようになっています。

 

ヨガをやっていると、エネルギーの世界により敏感になっていきますよ。