旧暦の新年

昨日の朝、友人から「千帆ちゃん、明けましておめでとう!」とメッセージが来て、旧暦の新年だと知りました。

 

みなさま、新ためて、明けましておめでとうございます!

 

今日の湯河原はとっても寒いです。

ここYoga Contactのある場所は、山の方なので、特に気温が低いです。

今日はストーブをつけてもなかなか部屋が暖まらなくて、なんとなく丸くなって、温かいお茶を何度も飲んでいます。

今日の仕事はなかなか進まず、下書きで止まっている。。。

 

でも、心地のいい音楽を聴きながら、ストーブの上でお豆を茹でています。

あとでスープを作ろうと思って。

 

少し片付けをして、手紙の整理もして、読みかけの本を読んだり。

 

ノートにいろいろ書いたり。。。

ひとつ、決めないといけないことがあって、気持ちを確かめたりもしていました。

自分は本当はどうしたいのか?って問いを自分の中に投げて、感じてみたり。

 

冬は動きは少ないけれど、内面でいろいろな整理や準備をしている感じがするのです。

 

 

全ての選択は、本当に自分がどうしたいのか なんだなぁと思います。

そのチョイスが、自分がどうありたいかに基づいて決められれば、自分にとって最善の道に行く。

 

それを自分の中心からではなく、世間の価値観や、常識や、誰かの意見に揺さぶられて決めてしまうと、そういう現実が続いていくしかない。自分がそれを選んでいるから。

 

勇気と覚悟はいるけれど、自分にしかわからないその感覚を信じて決める。

 

毎日の中に、選択の瞬間はたくさんあって、無意識だと今までと同じように惰性で、(いつもの方)を選んでいく。

でも、意識的に気づくようになってくると、ちょっとした心地悪さや違和感に気づくようになる。

説明はできないけれど、こっちだな、、、と、感覚が教えてくれる。

 

朝、コーヒーを飲むのか、ハーブティーを飲むのか、水を飲むのかだって、毎日選べる。

何も飲まないもありだしね。

でも、朝はコーヒーと決まっていると思い込んでいると、体の声は聞こえない。自分の体や気分が今、本当に飲みたいものが何かを聞いてあげられないと、体と心は離れていく。

 

昨日のクラスでお話ししたのですが、全てを「わからない」ってところに置いておくといいかもねって。

 

例えば、あの人はこう言う人、自分はこう言う人間 って思っているかもしれないけれど、本当にそうかな? って疑ってみる。自分の見方を疑ってみる。

 

だって、少し前の自分と今の自分、いろいろ変わってるんじゃない?

自分に対して決めつけられると、いい気分はしないのに、自分は人に対して「あの人はこう言う人」って、過去の行動や言動をもとに決めつけてしまっている。。。人間界って、そういうことばっかりだと思うのだけど、そこを疑ってみたらどうかな?って。

 

自分に対しても、「自分はこう言う人間」って思い込んでいると思うけれど、私はどういう人間なのかなんて「わかりません」が本当では無いかな?って。

 

他者に対しても同じ、あの人はどんな人?

 

「わかりません」

 

が本当の答えじゃ無いかな?って。

 

みんな本当は無限の存在だから、限定なんてできないんだよねって。

今の好みが表現されているだけで、それが本当のその人ってわけでは無いよねって。

 

じゃぁ、私って一体何なのか?本当の私って、本当のあなたって?

 

それが、ヨガでは一番大切な自分に問い続けるべき質問だと言われているんですよって、よく話すのですが。。。。

 

自分て一体なんだろう???

 

そこで

 

もし、それを言葉にできたらそれは全部幻の部分かもしれませんよ。

 

 

さて、お豆が茹で上がったようなので、今夜はこの辺で。

 

シャンティ