何を見ているかはみんな違う

 

いつでも、起こっている事実にはまだ意味づけがされていなくて、ニュートラルな状態。

 

今、雨が降っている。

 

とか、

 

今、眠い。

 

とか、

 

今、◎◎が広まっているとか。。。。

 

そこで、思考が無意識に働き始めると、、雨が降っているから、道で滑って転んだらどうしよう、、、とか、いますごく眠いから、これは何かの病気かしら?とか、自分がそうなったらどうしよう、、、とか、いろいろな意味づけが始まります。

それをしている自分に気がつかないと、それがどんどんストーリーを作り始め、ネットで調べ始めたり、誰かに話したり、雪だるまが大きくなっていきます。

不安が大きくなっていきます。

 

事実を知ると言うことと、それを脅威にしてしまうと言うのは、別の話。

 

自分の思考が何を言っているのか意識的に聞くことができないと、思考が完全に人生の舵(かじ)を握り、それをナビゲーションにして生きてしまいます。(これが普通といえば普通です)

 

起こっている出来事に、どんな意味を自分がつけて世界を見るかで、見える世界は変わってきます。

でも、自分が意味をつけていると言うことに気づかない場合が多い。

 

「だってみんながそう言っているから、これは本当だ!」。。。とか。

 

意味をつけると言うのは、マインドの仕事なので、(無意識にしてしまっていることが多い)マインド、(思考)がアクティブになると、雪だるま式に想像力が発揮され、情報を集め始めて、怖いものはもっと怖く、美しいものはもっと美しく、見えてきます。

 

そして、エネルギーは同じバイブレーションのエネルギーと引き寄せ合うので、怖いと思っていれば、怖いものばかり目に入るようになるし、楽しいと感じているときは楽しいことが連続で起こってくるように見える。

 

無意識の場合は、本当の自分には舵取りができないので、マインド(思考、頭の中の声)が舵取りをしてしまいます。そしてそれを信じ込んでしまう。信じるから、またそれを強化するような出来事が現れてくる。

 

自分の人生を生きているはずが、頭の中の声が主導権を握っているので、喜びや豊かさや安心から遠ざかってしまいます。

 

朝、起きた瞬間から、すぐに思考は動き始め、いろいろなことを考え始めます。

考え始めるというよりは、最初の思考が浮かんで、想像力が働き始め、最初のアイディアにお話をくっつけていく感じです。なので、朝、瞑想の練習をするのはとてもいい。一度、静かな状態に戻して、そこから1日をスタートするために。昨日からの続きではなくて、新しい今を生きるために。

 

本当の自分は、宇宙と繋がっている部分なので、完全に安らいだ、ポジティブなピュアでクリアーなエネルギーの場。

もし、そことつながることができれば、無限でパワフルなポジティブな宇宙の愛のエネルギーである本当の自分から、世界を見ることができるようになります。そうしたら何が見えるんだろう?

 

だから瞑想の練習が大切なんです。

しっかり三位一体(自分の体と心と魂が一つになっている状態)で生きるために。

 

本当の自分を思い出すためのプラクティス。

 

これは体験していかないと、頭では絶対にわからないこと。

 

なので、最近のクラスでは、瞑想を頻繁にいれています。

 

昨日は、ミュージシャンの友人たちと、作品づくりについて話していました。

ポジティブでパワフルな会話を何時間もしていたのですが、より一層自分の創造性がアップしてきたのを感じます。。

自分の世界をクリエイトしているのは、自分の思考(のエネルギーバイブレーション)。そしてみんなが影響しあっている。

いつでもポジティブなことにそのエネルギーを向けていきたいです。

 でも気づくための練習が必要です。

 

私も毎日がプラクティス。

 

あなたが今発している言葉は、自分にとって心地いいですか?

今いる空間は心地いいですか?

あなたの思考は、今、何を話していますか?

 

あなたの見ている世界は、あなたの思考が作り上げた世界だとしたら?

 

このブログを読んだって、感じることはみんな違う。

 

世界はニュートラル。

特定の意味をつけてこの世界を見ているのは自分自身です。

 

マインドから世界を見る(体験する)か、

 

本当の自分から世界を見るかは、自分の選択。

 

平和を求めていたら、

平和な世界を見たかったら、

まずは自分の内側を平和にするしかない。

平和になったら自分が平和になれるわけではない。

 

      ***

 

今日はとっても寒い。

 

窓の外からは、満開の山桜が見える。

 

部屋の中では静かな音楽が流れている。

 

今日は雪が降っているところもある。

 

熱いお茶を入れて、床に座って飲んでいる。

 

湯河原では雨が降り続いている。

 

雨の音が聴こえる。

 

この事実を、どう見ているのか?

みんなそれぞれ体験する世界が違って見える。

 

自分のマインドの色眼鏡を通さずに世界を見ることができたら、どんな風に見えるだろう?

自分のマインドの色眼鏡を通さずに、自分自身を見ることができたら、どんな風に見えるんだろう?

自分のマインドの色眼鏡を通さずに、他者を見ることができたら、どんな風に見えるんだろう?

 

そして自分はどう在りたいんだろう?

 

 もっと穏やかで美しい世界が見えるかもしれません。

その色眼鏡を外していくこと、それがヨガの練習です。

 

シャンティ