例えば、自分がこうなりたい とか、 こう変えたい と思ったときに、本当にそうできるかは、ベースに、自分を愛しているか、自分を受け入れているか、ということが在るかどうかではないかと思うのです。
今の自分が嫌だから、こうなりたい、ああなりたい、それは一見普通の考えのように聞こえますが、そのままだと、あまり変化はないと思う。
その何となく嫌な自分のままいるのがいちばん嫌ですね。
何で嫌だと思うのだろう?
意地悪なところがある自分が嫌?
人付き合いが苦手な自分が嫌?
恥ずかしがり屋の自分が嫌?
不器用な自分が嫌?
嫉妬している自分が嫌?
正直すぎる自分が嫌?
怠け者の自分が嫌?
色々あるとは思うのですが、それを全部、まず、そう感じてもいいことにしてみたらいい。
ダメなことにしないで、そのまま感じてみる。
意地悪はダメ、、、なんじゃなくて、意地悪だな。
人付き合いが苦手だからダメ、、、じゃなくて、人付き合いが苦手だな。
恥ずかしがり屋がダメ、、、じゃなくて、恥ずかしがり屋だな。
でも何でそこに ダメ をつけてるのか。
それは誰かや、自分の理想と比べてるから。
自分て意地悪だな、、、と感じたら、その意地悪な自分が出てきたときに、ちゃんとその感情を感じてみる。あれこれ考えずに、ただ感じる。その感情を。
そうすると、ちゃんと感じてもらえたその感情は、しばらくしたら安心して消えて行くはず。
自分が握りしめなければ、同じことをずっと感じていることは難しい。握りしめるから(何度も思い出したりして)消えてくれない。もう感じていないのに、握りしめているから。
考え続けて、思い出し続けているから。
消えないように握りしめていると、「自分」と「意地悪」がくっついて、自分が意地悪というものになったような気になってくる。意地悪が名前みたいに。。。。それがくっついているから、その自分が嫌いという考えになる。
でもそんなの考えに過ぎない。本当のあなたではない。
自分=意地悪
なのではなく、そのとき、意地悪な感情を感じただけ。
そんな風に感情と付き合ってみてはどうかな?
感じたら、流す、感じたら、流す、、、、、そうしてみると、あらゆる感情が現れては消えて行く、嬉しいも、気持ちいいも、寂しいも、悲しいも、本当はそんな言葉に当てはまらないほど、いろいろなことを感じている
「何でも感じられる、無限の自分がここにいる」そんな風に思えるかも。
まずは自分に出しているダメ出しをやめて。
自分をダメだなと思っていることを人から突っ込まれると、傷ついた、、、ような気になるわけだから。そのサイクルからは抜けにくい。
人から否定されることを私たちはすごく恐れているけれど、自分自身がそう信じている場合は一層それを感じる。自分がそう思っていないことで否定されても対して傷つかない。
だから、まずは、自分が自分の何をダメだと思って嫌っているのかに気づいてみるのも、助けになるような気がします。
自分に対して、ダメだダメだって言っていたら、可愛そうです。自分の子供に、あなたはダメだダメだって言って育てていたらどうなるか、、、と同じ。
自分に優しく。