昨日の台風は、大きかった〜。
山に住んでいるので、風の音がすごいのです。
大きな木が、風に揺らされて唸っている感じで。
すごく怖いなぁと、感じながらも、どこかで、守られているから大丈夫、ってう感覚もありました。両方。
風の音と、雨が雨戸に当たっている音が、本当にすごくて、停電した後は、オイルランプとキャンドルをつけて、娘と話しながら、「怖いね〜!」と、なかなか眠ることはできませんでした。
停電は、今日のお昼前まで続き、やっとさっき電気が再び通りました。
いつも、私が思うのは、何かあったときに、そこから自分が気づくべきことは何だろう?
この出来事に含まれているメッセージは何だろう?
ということです。
それは、世界情勢や、戦争や、震災などが起きた時もそうです。個人レベルの出来事も、世界レベルでも同じです。
これが起こったということは、ここから私(たち)自身が気づいて学べることは何だろう?何に気づく必要があるのかということに目を向けます。
誰か、有名な人が亡くなったと聞いた時とかも私はそこ。「かわいそうにねぇ」ってところではないです。その人の生き方、または死に方から、何を受け取るか。。。。。
多くの場合は、報道などでも、その出来事の悲惨さや、原因に焦点が合わせられていますが、(誰のせいなのかとかね)
それは、対処するべきところであって、この出来事のメッセージは何か?気づいて変えて行く必要があるところはどこか?というところが同時にとても大切なのではないかと思っています。
全ては、まず自分にとってはそれは何か、、、というところ。
そして、それに気づくということがない限り、個人も世界も、変化はなかなか起こらない。
その出来事から、学びのメッセージを受け取って、成長進化していけるかどうか。
昨日の台風の最中、そしてそのあとの停電の時もいろいろ感じていました。
特に停電中は、自分の暮らし方のおかげであまり困ることはなかったなということ。。。
唯一心配だったのは、というか、残念だったのは、冷蔵庫の中に入っているものがダメになるかしら?ということだけ。
「美味しいクリームチーズを買ったけど、やはり、必要以上にストックしておくことは意味がないなぁ」とか、「電気は必要だけど、少しあったらいいんだよね」とか。「オール電化は、フリーエネルギーが使えるようになるまでは、やはりよくないね」など(笑)。。。。。色々感じて考えて、自分の暮らしやすさを見直して。
wifiが繋がらないから、ipadとMacに来たメールは読めないなというのも、仕事柄、特に困らず、携帯電話はあるし、テレビは見ないので、困らず、トイレも最新式ではないので、電気が止まっても普通に使えて、ご飯も土鍋で炊いているので、大丈夫。
何も家の上に落ちてこなかったことに、とにかく感謝でした。ありがとうございます。
そして、いつものように思ったのは、人生はいつ何が起こるか、自分にはその時が来るまでわからないということ。それを再確認。
そして、私が信じているのは、自分が経験する必要のあること、魂が、学ぶと決めて来たことは、どこに逃げても起こるということ。だから、心配から何かをしたりやめたりというのは本当に必要ない。
飛行機が落ちるのが怖いから飛行機に一度も乗らなかったとしても、車が事故に遭うことだってある。心臓発作が起こることもあるのです。その時に起こる。起こらないことは起こらない。
だから、怖がることは何もなく、そのことが起こったら、それを経験するしかない。
そして、そこから学ぶべきレッスンを学ぶことが魂のしたいこと。。。。
私はそんな風に感じて生きています。
でも、だからと言って、怖さを感じないとか、不安にならないとか、感じないということとは違います。感じることはとっても大切。より深く感じるようになる。
感じて→行動。
考えて→行動して→感じる ではないのです。
私は今、何を感じてる?いつもそれを聞く。
私には、それが一番大切なこと。
今朝の空は、本当に綺麗でした。
雲が幾重にもなって流れていくのを見ながら、娘とお茶を飲んでいられることの幸せ。
ありがとうございます。