おはようございます。
写真を最近撮っていないので、これは去年の今頃インドに行ったときの指導風景ですが、懐かしい。
ここで養成コースを受けてくれた弥生さんは、日本に帰ってきて、私のクラスを何度も受けにきてくださっていますし、私を呼んでくれたマキさんは、今は上海に住んでいる。
ほかのみんなも元気かな〜?
そして、ここの家には、もう別の家族が住んでいるでしょう。。。
本当に、人生の全ては、移りゆく万華鏡のようで、同じような瞬間があっても、全く同じ瞬間というのは二度と無い。今というこの瞬間は、あっという間に過去になります。
本当に、うっかり、ぼんやりしていると、今という、唯一私たちに与えられている時を、取りこぼし続け、すなわち、生きることなく通り過ぎてしまう。
それに心底気づいた時、思考という 過去と未来に気を取られるのをやめようと思えるのではないでしょうか?心底気づいた時に。。。(頭の中で考えていることって、大抵過去と未来のことではないですか?)
多くの人は、自分の頭の中の声を聞き続け、自分の内側から来る本当の自分の声を聞くこと無く人生を終わっていく。
頭の中の声、(無意識な思考)と(自分の考え)は、まるで中毒のように、私たちの気を引き続ける。
それを信じれば信じるほど、苦しみは生み出される。
自分が考えていることが正しいと思えば思うほど、ほかの人や出来事を否定していくようになる。
自分の正しさ(エゴ)を守ろうと必死になっている限り、私たちが一つに繋がりあっていると感じることはできない。平和は来ない。
体も心も緊張していくんです。
今どんな呼吸をしていますか?
自分の考えなんて、ただの考えに過ぎない、、、って思えたらどうですか?思えるでしょうか?
どうしたら思えるかな?
自分の考えなんて、コロコロ変わるってことに気づいたらいいんです。
例えば、誰かのことが大好きだったのに、何かちょっとした噂を聞いて、あまり好きではないと感じたり、今日はいい気分だと思っていたのに、ちょっとしたことで不機嫌になったり、そういうことを日常的にしている自分に気づくこと。自分の心がコロコロ変わっていることに気づくこと。
どれだけ自分がフィルターかけて、色眼鏡で世界を見ているかに気づくこと。
気づくこととは、目を覚ますこと。
この前のセミナーで、いいなぁと思ったことは、誰かが、人間関係で苦しんでいる話をした時に、普通多くの友達関係で行われるのは、多分、その人と一緒になって、友達は、その人を苦しめている(ように見える)相手を悪者にして、慰めようとしますね。あなたは悪くないんだから、気にしないでいいわよ。いやねそういう人、私もあるある。そういえばこの前ね。。。と言って、グチの言い合い、慰め合いになると思うのです。
でも、セミナーでは、そういう時に、その苦しんでいる人を、その人自身に向けてあげようとする。気づきの方向に仲間はサポートしていく。エゴと無意識の闇の中で迷子になっている人に、ライトを渡す。
「落ち着いてよく見て!怖くないよ!見るのはそっちじゃない、自分の内側だよ!自分の内側にあるものを見るんだよ」って。
これが、仲間であり、コミュニティだと私は感じています。
まだ小さなサークル(輪)ですが、少しずつ育てていきます。
かわいそうな自分を犠牲者にして抱きしめているのでは無く、自分のエゴに気づくために「今」に戻る。
そして、何を感じても大丈夫、OK、、、、だけど、その感情も、考えも、本当の自分ではないんだ!っていうことに気づけるまで、深く深く自分の内面に降りていく。
思考を鎮めて。今に在る。何もないスペースを感じる。しばらく感じ続ける。ひとりが気づくと、他者に影響する。私たちは繋がっているから。
自立した、自律した、ひとりひとりが、比べるためでなく、優位に立つためでなく、ただそばにいる。
ジャッジせずに見守っている。それは相手を信じるからできること。
自分を信じるからできること。
ヨガのコミュニティー、スピリチュアルな全てのコミュニティーがそうでありますように。
私も毎日がプラクティス!
シャンティー
ゴールデンウィークもクラスは休まず開催します。
*時々メールが届かないことがあるようなので、クラス予約の返事が24時間経っても届かない場合はもう一度送信お願いいたします。