好きな人や、友達や家族には、自分のことをわかってほしい、理解してほしいと思うかもしれないのですが、それには限界があると思うのです。
理解するというのは、ハートでのコミュニケーション、エネルギーでのコミュニケーションのレベルであれば、できることですが、話を聞いて、頭で理解するというやり方では、難しいことだなと思います。でも、私たちはいつも頭で理解しようと頑張っている。。。その人の言った言葉について考えたり、行動について考えたり。言葉でコミュニケーションを取ろうとする。
言葉は便利だけど、言葉で伝わることはほんの少し。
たとえ、その時、理解した!理解してもらえた!と思ったとしても、それは、それぞれの思考のフィルターを通してのこと。思い込みが大きいと思います。
それでも、人間として生きている私たちは、分かり合いたい、わかってほしいと思ってしまう。それが普通。
だから、「なんでわかってくれないの〜!!!」と、身近な人にほど、怒ったりしてしまう。
そして、無意識に期待をしたり、コントロールしようと必死になったり。被害者を演じたり。
じゃぁどうしたらいいのか。。。ヨガ的な角度から見ると、全ての人は、自分の過去に経験したことや考えたことが貯蔵されている倉庫から世界を見ているようなものなのだということに気づいてみて欲しい。
それぞれの人が、そのたくさんの思い込みのフィルターを通して、色のついたメガネで、思考(自分の考え)を通して世界を見ているのだということに気づいてみて欲しいのです。自分もそうなんだと。。
誰もがクリアーにそのまんまを見ているわけではないと理解することからだと思います。
本当の私を見ている人はいない。
本当のあなたを見ている人はいない。
いないと言うのは、違うかも、、、、、少ない。
大体が、「多分こうだろう」と言う自分の考えで見ている。
でもそれに気づいている人は少ない。
だからヨガは、クレンジングだと言う。
心も体もクレンジングする。
自分が色眼鏡で世界を見ていることに気づくために。自分のエゴに気づくために。そして世界をクリアーに見ることができるように。
いつもいつも自分の考えで頭がいっぱいで、頭の中のおしゃべりが止まらない人にはきついと思う。
だから昨日のクラスでも言いました。
ヨガの八支則の中、最初の四本の枝、呼吸法まででいい人は、それでいい。無理しないほうがいい。
でも、最後の四本の枝を生きて、本当にヨガを道具として、真実が知りたい、真実が見たい、自分の真実を生きたいと言う人は、一緒にプラクティスを続けましょうと。
五から先はエネルギーの世界、見えない領域。でもそここそが豊かで、自由な自分、本当の自分と出会えるところ。
チャクラで言えば、ハートが入り口、そこからが見えない世界とつながるところ。
私にとっては一番興味深く、楽しいところ。
ヨガを教えていると、生徒さんも色々変化していきます。
ボディー マインド スピリット がひとつになっていないと、その人自身も落ち着かず、エネルギーも乱れている。気が散って、気づいていない状態です。その荒れたエネルギーを撒き散らしていることにもなかなか気づけない。
そんなときは、時々、私は観察しながら黙っています。
自分で気づいて欲しいから。
冷たいと感じることがあるかもしれない。
でも、自分の中に全てあるのだと気づいて欲しい。誰かのせいや、自分のせいにしないで欲しい。
苦しい時こそ、ブレイクスルーのポイントだったりするんです。だから黙ってる。
私も何度も経験しています。
今年私が一番言った言葉は多分、、、、、
「自分をちゃんと自分の中心に置いて!」
「自分の中心から世界を見て!」
「整えるのは自分の中!」
これは、エゴイスティックなのではなくて、目を覚まして生きるための指針です。
自己中で!!!
ってたまに言うから、きっと誤解も招いてるかも、、、、、。
言葉ではなく、イメージで感じてもらえるとわかりやすいかもしれません。
自分が自分の中心にいない人は、実は逆に自己中=エゴイスティック(無意識な思考活動中心)になってしまう。
私が伝えたいのは、自分のハートを中心に置いてねと言うことです。
自分に優しく、大切にねって言っているのも、自分の考えを大切にねってことではないんです。
自分の頭の声ではなくて、ハートの声を聞いてねと言うことです。
言葉って難しい。
少しでも役に立つといいけれど。
今日も太陽が気持ちいい!
ありがとうございます!
太陽の下で、ハートの声を聞いてみてくださいね〜。